頭文字D

職場の若い子が全巻持ってるということで貸してくれました

 
作者のしげの秀一は確かバリバリ伝説でブレイクした作家で、ちょうどその頃バイクに熱中していた私も夢中で読んだものでした

週刊誌に連載ということで毎週少しづつ読んでいたのですが、物語の中の時間と、実際の生活の間にだんだんとズレが生じて物語の終わりを待たずにいつの間にか読むのをやめてしまいました

イニシャルD の方はさらにその後何年か経ってから青年誌に連載されて、その存在は知っていましたが、まったく読むこともありませんでした

個人的にどの作家もデビュー時の作品が一番エネルギーに満ち溢れて面白く、その後の作品は徐々に面白みにかけていくものだと思っていたので、世間では評判になっているとは知っていましたが、興味はありませんでした

でもまあ、全巻揃っているとなると話は別、続きが読みたくてもまだ刊行されていない漫画ほどイライラさせられるものはありません

丁度、仕事の休みと重なっていたので全巻一気読みにチャレンジです

 
タイトルの「頭文字D」の意味は最終話の最終ページまで明かされることはなく、話は公道レースというマイナーでありながら、車を運転したことがある者なら誰もが抱く夢を様々な形と思いで追い求める人々の群像劇です

公道レースの話という形を取りながらそこで語られていることは、繰り返される経験の積み重ねとその上に描かれたイメージこそが人を新たな領域に到達させてくれるのだということが、繰り返し繰り返し描かれています

特に人は頭の中に作り上げたイメージを通して物事を見ている、そして人の持つ感情は物事を究める時に障害になるものなのか?それとも欠くことのできないモノなのか?

繰り返されるモチーフの中で何度も形を変えて問い直されながら話は進んでゆきます

スポーツやゲームなどのあらゆる競技に共通する普遍の原則というか、むしろある種の成功法則のような趣きさえ感じてしまいました

人は自分が実感したこと以外はほんとうの意味で人に語ることは出来ません、しげの秀一という人がそれまでの人生で実感したことが漫画という表現方法と公道レースと言うテーマを借りてカタチになった非常に稀な精神性の高い作品でした

この漫画が若者たちの間で人気を呼び、夢中になって読んだ人が沢山いるのだとしたら、それだけで日本の未来は明るいな、と単純に思ってしまったくらいです

 
若いころに途中まで読んでそのままになっている作品が沢山あるので、また読んでみたいなと思ってしまった午前二時でした

 



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